[1945年6月7日] B-29、大阪市街地を空襲

日時

1945年6月7日1109-1228.

概要

いわゆる第3回大阪大空襲.P-51に護衛されたB-29による昼間空襲.

日本側航空部隊

連合側航空部隊

第21爆撃機兵団(21st bomber command)

作戦任務第189号.第58・73・313・314爆撃航空団のB-29 449機が出撃.409機が大阪市街地(第1目標)に投弾.9機が臨機目標へ投弾.故障で2機を喪失.(小山仁示,『米軍資料 日本空襲の全容: マリアナ基地B29部隊』,東方出版(2018))

第7戦闘機兵団(7th fighter command)

硫黄島からのP-51 144機が護衛.硫黄島近辺で1機炎上.(小山仁示,『米軍資料 日本空襲の全容: マリアナ基地B29部隊』,東方出版(2018))

日本側艦船

連合側艦船

日本側地上部隊

連合側地上部隊

主な被害地域

大阪市街地

証言集・記録本

凡例; ①文献名,②記事名,③著者名,④記事内容,⑤補足事項.

戦争体験記・回想録

市民らの回想.ただし上述の文献は除く.
凡例; ①文献名,②記事名,③著者名(所属),④記事内容,⑤補足事項.

①『つゆくさ 大阪大空襲体験記』大阪大空襲の体験を語る会(1977)p14
②長柄橋南詰の惨状
③苗村実(当時国鉄職員)
④神戸駅から吹田操車場駅へ向かう途中,塚本駅近くで被災.
①『つゆくさ 大阪大空襲体験記』大阪大空襲の体験を語る会(1977)p20
②疎開者のわれ
③服部秀子(当時大阪市内の高等女学校生徒)
①『つゆくさ 大阪大空襲体験記』大阪大空襲の体験を語る会(1977)p28
②再びあの日の道を歩く
③織田よし子
④城東区中浜の親族の家で被災.
①『つゆくさ 大阪大空襲体験記』大阪大空襲の体験を語る会(1977)p30
②六月七日、被爆の跡を歩く
③大西保三郎
④被爆直後の様子.
①『つゆくさ 大阪大空襲体験記』大阪大空襲の体験を語る会(1977)p34
②父から聞いた六月七日
③中島千鶴子
④当時警防団員だった父からの聞き書き.
①『つゆくさ 大阪大空襲体験記』大阪大空襲の体験を語る会(1977)p35
②都島がやられた
③稲田朝美(当時大阪陸軍病院勤務の軍医)
④第3救護班長として救護.
①『孫たちへの証言 第21集 記録することで体験は生きつづける』新風書房(2008)p31
②学徒動員中に空襲の爆風で生き埋めになる
③西川節子(当時聖泉女学校生徒)
④20年6月7日,敷島紡績城北工場(大阪市旭区赤川町)での勤労奉仕中に空襲.
①『孫たちへの証言 第21集 記録することで体験は生きつづける』新風書房(2008)p98
②機銃掃射の弾丸が水しぶきを上げる
③朝田茂一(当時12歳)
④6月7日の第3回大阪大空襲について.
①『孫たちへの証言 第21集 記録することで体験は生きつづける』新風書房(2008)p101
②松下航空へ勤労動員、ベニヤ板で合板つくる
③朝倉真知子(当時四天王寺高等女学校2年生)
④20年6月7日,松下航空プロペラでの勤労奉仕中,第3回大阪大空襲.
①『孫たちへの証言 第21集 記録することで体験は生きつづける』新風書房(2008)p103
②空襲で電車ストップ、こわごわ渡った神崎川鉄橋
③石田マリ子(当時大阪府立豊中高等女学校1年生)
④20年6月7日の第3回大阪大空襲について.
⑤日付は明記されていないが,十三駅近くの火災や戦闘機による機銃掃射があったことから,P-51随伴の6月7日の空襲と考えられる.
①『孫たちへの証言 第5集 いま語り継がねばならぬこと』新風書房(1998)p117
②あの鮮烈な炎の色
③川崎弘(当時大阪大学工学部造船科1年生)
④20年6月7日の空襲について.

写真資料

凡例; ①文献名,②記事名,③提供者・解説者名(所属),④記事内容,⑤補足事項.

文献資料

公文書や解説本.
凡例; ①文献名,②記事名,③著者名(肩書),④記事内容,⑤補足事項.

①『つゆくさ 大阪大空襲体験記』大阪大空襲の体験を語る会(1977)
②恩師の戦中戦後
③市岡和子
④当時鶴町小学校高等科で教師をしていた恩師から聞いた被災の話.