[1945年8月6日] B-29、広島市へ原子爆弾を投下
日時
1945年8月6日
概要
日本側航空部隊
連合側航空部隊
第509混成部隊
日本側艦船
連合側艦船
日本側地上部隊
連合側地上部隊
主な被害地域
広島市街地
証言集・記録本
凡例; ①文献名,②記事名,③著者名,④記事内容,⑤補足事項.
①『平和の世紀を願って : 高松市民による戦争体験記』(2001)p180
②原爆・被爆体験
④広島原爆に関する市民の体験記6編.
②原爆・被爆体験
④広島原爆に関する市民の体験記6編.
戦争体験記・回想録
市民らの回想.ただし上述の文献は除く.
凡例; ①文献名,②記事名,③著者名(所属),④記事内容,⑤補足事項.
①『士交会の仲間たち 海軍主計科短現十一期』(1988)p281
②光芒一閃
③武山泰雄(当時広島監督・監査官/呉運輸部部員)
④広島駅呉線車内で被爆.被爆直後の広島市内や紙屋町の監督官事務所の様子.
②光芒一閃
③武山泰雄(当時広島監督・監査官/呉運輸部部員)
④広島駅呉線車内で被爆.被爆直後の広島市内や紙屋町の監督官事務所の様子.
①『士交会の仲間たち 海軍主計科短現十一期』(1988)p284
②三度、九死に一生
③丸山三郎(当時呉工廠総務部勤務)
④原爆投下時の呉海軍工廠の様子および広島への救援など.
②三度、九死に一生
③丸山三郎(当時呉工廠総務部勤務)
④原爆投下時の呉海軍工廠の様子および広島への救援など.
①『士交会の仲間たち 海軍主計科短現十一期』(1988)p288
②石炭に泣き、笑う
③多久安英(当時第11航空廠会計部材料課勤務)
④キノコ雲を長浜沖の漁船上で確認,8/8に広島市内の中国酸素へ出張.
②石炭に泣き、笑う
③多久安英(当時第11航空廠会計部材料課勤務)
④キノコ雲を長浜沖の漁船上で確認,8/8に広島市内の中国酸素へ出張.
①『海なお深くー徴用された船員の悲劇ー【下巻】』成山堂書店(2017)p370
②脳裏にいまも、あのキノコ雲が
③土井照博(当時大竹潜水学校第2分隊付の「阿多田」乗組)
④8/9頃に「阿多田」で宇品から大野陸軍病院へ負傷者を移送.
②脳裏にいまも、あのキノコ雲が
③土井照博(当時大竹潜水学校第2分隊付の「阿多田」乗組)
④8/9頃に「阿多田」で宇品から大野陸軍病院へ負傷者を移送.
①『つゆくさ 大阪大空襲体験記』大阪大空襲の体験を語る会(1977)p86
②広島原爆体験記
③今井陽一郎(当時船舶砲兵第1連隊教育隊所属)
④江波の高射砲陣地で被爆.
②広島原爆体験記
③今井陽一郎(当時船舶砲兵第1連隊教育隊所属)
④江波の高射砲陣地で被爆.
①『思い出集 上海海軍航空隊 飛練三十九期生』元上海空・偵察飛練三十九期会(2001)p411
②原爆実見記
③大山正昭
④8月8日病気のため除隊となったのち,郷里へ帰る途中に広島を歩いた際の記録.
②原爆実見記
③大山正昭
④8月8日病気のため除隊となったのち,郷里へ帰る途中に広島を歩いた際の記録.
①倉敷市ホームページ 戦争体験記「伝えたい記憶 ~私たちの戦争体験~」
②18歳の夏
③和多孝行(当時呉警備隊への転勤中)
④岩国海軍病院でキノコ雲を見た後,転勤のため8月12日に広島を通った際の記録.
②18歳の夏
③和多孝行(当時呉警備隊への転勤中)
④岩国海軍病院でキノコ雲を見た後,転勤のため8月12日に広島を通った際の記録.
①『孫たちへの証言 第21集 記録することで体験は生きつづける』新風書房(2008)p7
②軍都広島の壊滅に想う
③竹林一夫(元大本営通信隊)
④20年8月門司で敵信傍受.終戦後の広島の様子など.
②軍都広島の壊滅に想う
③竹林一夫(元大本営通信隊)
④20年8月門司で敵信傍受.終戦後の広島の様子など.
①『孫たちへの証言 第21集 記録することで体験は生きつづける』新風書房(2008)p14
②爆風で家の下敷きになるが助け出される
③倉本五夫(当時二葉山の陸軍部隊所属)
④8月6日広島原爆.
②爆風で家の下敷きになるが助け出される
③倉本五夫(当時二葉山の陸軍部隊所属)
④8月6日広島原爆.
①『孫たちへの証言 第21集 記録することで体験は生きつづける』新風書房(2008)p215
②京城から八月十八日広島に帰り着き被爆者に
③名越三郎
④8月18日以降の広島の様子について.
②京城から八月十八日広島に帰り着き被爆者に
③名越三郎
④8月18日以降の広島の様子について.
①『孫たちへの証言 第5集 いま語り継がねばならぬこと』新風書房(1998)p
②原爆投下された広島の惨状
③九十歩克三(当時国鉄機関助手)
④8月6日横川駅で被爆,救援列車を運転,のちに徒歩で広島に入った際の回想.br>
②原爆投下された広島の惨状
③九十歩克三(当時国鉄機関助手)
④8月6日横川駅で被爆,救援列車を運転,のちに徒歩で広島に入った際の回想.br>
①『孫たちへの証言 第5集 いま語り継がねばならぬこと』新風書房(1998)p132
②原爆投下後の、病院の惨状
③脇水成子(当時陸軍共済病院勤務?)
④20年8月6日.
②原爆投下後の、病院の惨状
③脇水成子(当時陸軍共済病院勤務?)
④20年8月6日.
①『孫たちへの証言 第5集 いま語り継がねばならぬこと』新風書房(1998)p135
②原爆の憎しみ、今も消えず
③日田早月(当時大竹在住,主婦)
④20年8月6日.患者の看護など.
②原爆の憎しみ、今も消えず
③日田早月(当時大竹在住,主婦)
④20年8月6日.患者の看護など.
写真資料
凡例; ①文献名,②記事名,③提供者・解説者名(所属),④記事内容,⑤補足事項.
文献資料
公文書や解説本.
凡例; ①文献名,②記事名,③著者名(肩書),④記事内容,⑤補足事項.