海軍航空廠
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常設海軍航空廠
第1海軍航空廠
昭和16年10月,海軍航空技術廠霞ヶ浦出張所が独立.機体・発動機の改造及び再整備のほか,「桜花」や「橘花」の生産を行った.終戦で廃止.
第2海軍航空廠
昭和16年10月木更津に新設.主に航空機の修理などを担当.館山・八重原・瀬谷などに工場が存在した.19年末頃,一部が松本へ疎開.終戦で廃止.
第11海軍航空廠
昭和16年11月,広海軍工廠の航空機部が独立し,呉市広に設置.零式水偵や彗星の生産を行った.20年5月5日の空襲で壊滅.6月に広工廠を吸収.終戦で廃止.
第21海軍航空廠
昭和16年10月長崎県大村市に開庁.日宇の佐世保工廠飛行機部を分工場とした.零式観測機や発動機などの生産や各種の航空機修理を担当.19年10月25日B-29の爆撃を受け壊滅.以後も疎開工場などで作業を継続したものの終戦で廃止.
第31海軍航空廠
昭和17年4月,第11海軍航空廠舞鶴支廠が独立.主に水上偵察機の修理を行った.終戦で廃止.
第41海軍航空廠
昭和17年4月,第2海軍航空廠大湊支廠を改編.19年10月,従来41空廠千歳支廠があった千歳基地に本廠が移転.代わりに大湊支廠が設置された.終戦で廃止.
第51海軍航空廠
昭和17年4月第21海軍航空廠鎮海支廠が独立.鎮海本廠のほか元山分工場を傘下に置き,航空機の機体・発動機・関連部品の製造・修理・整備を行った.一部自動車の整備も行った.終戦で廃止.
特設海軍航空廠
南東方面海軍航空廠
昭和18年5月第104(トラック),第105(サイパン),第106(ルオット),第108(ラバウル)航空廠を統合してラバウルに設置.19年3月サイパンに移動.7月本厰は玉砕.12月廃止.トラックの第1支廠を第104航空廠,ラバウルの第3支廠を第108航空廠に改編.
南西方面海軍航空廠
昭和18年5月第101(シンガポール),102(スラバヤ・マニラ)航空廠を統合してスラバヤに設置.19年7月マニラに移動.10月ダバオの第2支廠を廃止.20年1月シンガポールの第1支廠,スラバヤの第2支廠が独立.マニラの本厰は2月以降地上戦.終戦で廃止.
海南海軍航空廠
昭和16年4月第2海軍航空廠を改称.10月一部をサイゴンに派遣,仏印進駐航空部隊を支援.開戦に伴いコタバル,クチンにも派遣.17年2月サイゴン派遣隊は第101航空廠に吸収された.4月廃止.
第1海軍航空廠
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第2海軍航空廠
昭和14年10月海南島海口に開庁.第5艦隊所属.16年4月海南航空廠に改称.
第101海軍航空廠
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第102海軍航空廠
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第103海軍航空廠(初代)
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第103海軍航空廠(二代)
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第106海軍航空廠
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第108海軍航空廠
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第110海軍航空廠
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