陸軍 病院船
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「うらる丸」
昭和4年3月竣工.大阪商船の阪神-大連航路に就航.16年11月陸軍が徴傭,病院船となる.19年7月衛生班が退船し,以後輸送任務に従事.9月27日ミマ11船団でミリからマニラへ航行中,ルソン島西岸で米潜水艦Flasher (SS-249)の雷撃を受け沈没.
「亜米利加丸」
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「まにら丸」
大正4年9月竣工.大阪商船.ブラジル移民船として活躍.昭和16年12月陸軍が徴傭.病院船として使用.19年11月25日シマ05船団に加入中ミリ北西で米潜Mingo (SS-261)の雷撃を受け沈没.
「龍興丸」
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「ばいかる丸」
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「しあとる丸」
明治42年7月竣工.大阪商船.南米移民船,日満連絡船.昭和12年3月陸軍が徴用,18年4月まで病院船.19年7月16日タマC21船団で高雄からマニラへ向け航行中,ルソン島北方で米潜水艦Piranha (SS-389)の雷撃を受け沈没.
「北辰丸」
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「瑞穂丸」
1912年9月英国で竣工のスペイン船.26年8月大阪商船が購入し改名.37年7月陸軍が徴傭.主に病院船として使用.44年9月21日タマ26船団でマニラへ航行中,ルソン島北西で米潜水艦Redfish (SS-395)の雷撃を受け沈没.
「さいべりや丸」
明治42年英国で豪船"Mallina"として竣工.WW1には豪海軍が徴用.昭和4年4月町田商会が「聖光丸」として購入.9年日本海汽船が取得.10年4月「さいべりや丸」に改名.17年1月陸軍が徴用.病院船.19年以降輸送船.9月24日マニラからネグロスに向かう途中米空母機の攻撃を受け沈没.
「湖北丸」
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「しかご丸」
明治43年1月竣工.南米航路やフィリピン航路に就航.昭和13年陸軍が徴傭.断続的に病院船として使用された.昭和18年10月15日台中沖で米潜Tulllibee (SS-284)の雷撃を受け沈没.
「あらびあ丸」
大正7年4月竣工の大阪商船貨客船.タコマ航路に就航.昭和16年11月陸軍が徴傭.病院船.19年10月18日タマ26船団でマニラからミリに向け航行中,ルバング東北西で米潜Bluegill(SS-242)の雷撃を受け沈没.
「扶桑丸」
明治41年ロシア船"Россия"として竣工.大正3年8月"Русь"に改名しロシア帝国海軍がバルチック艦隊運送船として徴傭.大正10年"Latvia"に改名.12年大阪商船が購入.13年7月「扶桑丸」に改名.神戸-基隆航路に就航.昭和16年11月陸軍が徴傭.病院船.輸送船として利用中の19年7月31日ミ11船団で高雄から航行中にバシー海峡で米潜Steelhead(SS-280)の雷撃を受け沈没.
「ぶゑのすあいれす丸」
昭和4年10月竣工.大阪商船.西廻り南米航路に就航.16年11月陸軍が徴傭.断続的に病院船として使用された.18年11月27日ラバウルからパラオへ向かう途中,米陸軍機の攻撃を受け沈没.
「吉野丸」
明治39年ドイツで"Kleist"として竣工.独日を結ぶ極東航路に就航.第1次大戦の賠償船として日本に回航され大正10年12月改名.日本郵船.昭和12年8月陸軍が徴用.19年7月ミ11船団で高雄→マニラの航海中米潜Parche(SS-384)およびSteelhead(SS-280)の雷撃を受け沈没.乗船の約2,500名が死亡.
「三笠丸」
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「橘丸」
昭和10年5月竣工.東京湾汽船.13年6月海軍が徴傭.特設病院船.7月29日鄱陽湖で中国軍機の爆撃を受け沈没.9月引き上げ.14年3月解傭.12月大島航路に復帰.18年3月船舶運営会が徴傭.10月陸軍が徴傭.陸軍病院船.第3船舶司令部所属.20年8月3日パンダ海で米駆逐艦の臨検を受け拿捕された.10月復員兵を乗せ帰国.
「和浦丸」
昭和13年12月竣工.三菱商事.16年9月陸軍が徴傭.各地で輸送に従事.20年7月20日釜山沖で触雷し航行不能.釜山港内に任意擱座.戦後サルベージに成功,整備ののち「コリア」として就役.大韓民国最大の船舶としてニューヨーク航路などに就航.51年8月解体.
「有馬山丸」
昭和12年7月竣工.三井物産.NY航路.17年9月頃船舶運営会が徴傭.陸軍配当船.20年3月陸軍が徴傭.病院船.無事終戦を迎え,復員輸送の後にNY航路に復帰.41年と43年に移籍改名.45年2月解体.