海軍工廠・工作部

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海軍工廠

横須賀海軍工廠

慶応元年に徳川幕府が建設開始した横須賀製鉄所をルーツとし,明治4年横須賀造船所となる.以後海軍の艦艇建造の中心として発展.19年横須賀海軍造船所,22年横須賀鎮守府造船部,30年横須賀鎮守府造船部を経て36年海軍工廠となる.昭和7年航空機部門が海軍航空廠として独立.20年10月米軍が接収し廃止.現在も米軍管理下の施設として運用中.

呉海軍工廠

明治36年,呉海軍造兵廠と造船廠を基に誕生.多くの艦艇を建造した.昭和20年6月22日の空襲で大きな被害を受けた.10月15日廃止.土地や設備は2020年現在JMU呉工場となっている.

佐世保海軍工廠

明治22年佐世保造船部を設置.30年佐世保造船廠.36年佐世保海軍工廠となる.終戦で廃止.現在は海上自衛隊,米海軍,佐世保重工業の三者が利用し艦船の建造修理を行っている.

舞鶴海軍工廠/舞鶴工作部

明治34年ごろ設立の舞鶴造船廠を36年海軍工廠に改編.大正12年舞鶴鎮守府の要港部への格下げに伴い舞鶴工作部となる.昭和11年工廠に復帰.終戦で廃止.21年飯野産業に移譲.令和3年JMU舞鶴事業所が商船の新造を終えた.現在は修理に従事.

豊川海軍工廠

昭和14年12月愛知県豊川市に設立.主に機銃・弾丸・信管の生産を行った.20年8月7日の空襲により壊滅.終戦で廃止.

光海軍工廠

昭和15年10月,山口県光市に開設.砲熕・製鋼・水雷・造機・爆弾部があり,各種兵器の製造を行った.20年8月14日正午ごろ,B-29の爆撃により壊滅.終戦で廃止.

相模海軍工廠

昭和18年5月化学兵器および火工兵器の本格的な量産のため海軍技術研究所化学研究部を母体に設立.寒川に本廠,平塚の火薬廠の隣接地区に工場を置き化学兵器および防毒マスクの製造に当たった.終戦で廃止.

高座海軍工廠

昭和19年4月,航空技術廠相模野出張所を拡大して設置.海軍の戦闘機生産工場として大規模に計画されたが,実際には雷電21型50~80機の生産にとどまった.台湾の少年工が動員されていたことでも有名.

川棚海軍工廠

昭和17年10月佐世保海軍工廠川棚分工廠として新設.18年5月海軍工廠として独立.航空魚雷の製造を行った.終戦で廃止.

沼津海軍工廠

昭和18年6月新設.電探や航空無線機の製造に従事.終戦で廃止.

多賀城海軍工廠

昭和18年10月新設.航空機銃や弾薬の製造に従事.終戦で廃止.

鈴鹿海軍工廠

昭和18年6月三重県鈴鹿に完成.航空機銃・機銃弾,信管や雷管などの生産を担当.20年1月神戸に,4月関に分工場を設置.終戦で廃止.

津海軍工廠

昭和19年4月,三重県津市に開設.発動機・推進機部があり,それぞれ航空機用のエンジンとプロペラの製造を行った.終戦で廃止.

広海軍工廠

大正12年4月,呉海軍工廠広支廠が独立.昭和16年10月航空機部が第11海軍航空廠として分離独立.20年5月5日の爆撃で壊滅し,6月に11空廠に吸収された.

工作部